2012年8月27日月曜日

「尖閣はすでに日本のもの、将来も日本のもの」全文:

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● 1953年1月8日版 人民日報



毎日新聞 2012年08月26日 23時38分(最終更新 08月27日 02時09分)
http://mainichi.jp/select/news/20120827k0000m030088000c.html

中国:「尖閣は日本領」微博に異例の書き込み

 【北京・工藤哲】
 中国版ツイッター「微博」で、広東省の民間企業幹部を名乗る人物が
 「中国はかつて尖閣諸島は日本の領土と表記をしていた
との内容を資料を交えて投稿した。
 こうした書き込みが掲載されるのは中国では異例で、投稿は次々に転載されているが当局が削除し続けている。

 書き込んだのは、実在する企業「広東捷盈電子科技」の取締役会副主席と名乗る「Evil林凡」というアカウントを持つ人物。
 10万余りのフォロワー数を持つ。

 林氏は
 「日本は尖閣諸島と呼んでいるが、1950〜60年代の中国の地図は意外にもすべてが『尖閣諸島』と記述し、日本領土としていた
と指摘。

 1953年1月8日付の中国共産党機関紙「人民日報」が、日本の沖縄県に所属する島々として尖閣諸島を含む記載をしていたことも原文を交えて説明している。
 同じ年に作製された中国の地図に台湾や福建省に尖閣諸島が含まれていないことも示した。




2012/08/26 14:38 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201208/CN2012082601001414.html

「尖閣は日本領土」の書き込み 中国のサイト

 【北京共同】
 中国の短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」上に、共産党が政権を握って以降
 「中国は“尖閣諸島”を日本領土と認めていた
との書き込みが26日までに掲載された。
 こうした主張がサイトに載るのは珍しい。

 広東省の企業幹部が24日、
 「中国政府は釣魚島を自ら捨てていた
との見出しで、尖閣を日本領扱いしていた古い地図とともに掲載。
 26日時点でも転載されているが、次々と削除されている。

 根拠として、
 共産党機関紙、人民日報(1953年1月8日付)が「尖閣諸島を含む琉球諸島」と記して尖閣が沖縄県に所属すると認めている
ことなどを挙げた。




レコードチャイナ 配信日時:2012年8月27日 18時22分
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=64125&type=0



「尖閣諸島は中国のものではないのでは?」世論に多面性
過去にない傾向―中国

 2012年8月、尖閣問題で日中関係に再び緊張が高まっている。
 中国各地で反日デモが続いているとも伝えられる中、中国国内では確実にこれまでとは異なる世論の流れが起きている。

 24日、広東省の某民間企業幹部が“中国版ツイッター”と呼ばれる簡易投稿サイト「新浪微博」で、
 「尖閣諸島は中国の領土ではない」
との主旨の投稿を行い、物議を醸している。
 領土問題に限らず、さまざまな政治的問題において、これまではほぼ一面性の世論しか表に出てこなかった中国で、これは大きな変化のうねりであると言わざるを得ない。
 本来であれば、このような投稿は政府の検閲によってアカウント自体が削除される処分が下っても不思議ではなかったはずだ。
 個人が実名で登録して運営するこのような投稿アカウントを政府が“看過している”こと自体が異例だ。

 1950年代に発行された中国共産党機関紙・人民日報の記事などを挙げながら、
 「新中国成立後、1971年までは中国政府も尖閣諸島を日本の領土と認めていた
との投稿を行った人物は、広東省広州市の電子サービス企業で取締役会副主席を務める林凡(リン・ファン)氏。
 実名などの個人情報を登録したうえで、理路整然と上記のような発言を行っている。
 一部報道では、彼女の過去の投稿は25日付で全削除されたとの情報もあったが、現段階で確認すると、林氏のアカウントは現在も残っており、過去の投稿も上記の問題発言以外は存続している模様だ。
 なお、林氏は本日付で
 「尖閣諸島に関する見解は完全に個人的なものであり、いかなる企業とも関係ございません
と投稿している。

 林氏は企業幹部とはいえ、新浪微博のプロフィールからは若い女性であることがうかがえ、“美脚の小悪魔”とも自身を形容していることから、それほど専門的な見識を持った人物とは考え難い。
 しかし、中国では彼女のほかに、もっと影響力を持った人物までもが中国の尖閣領有権へ疑問を呈する声を挙げている。

 民主化を唱える改革派として知られる経済学者の茅于軾(マオ・ユーシー)氏も、尖閣問題について、
 「領有権争いはまったく無意味」
と切り捨て、以下のような意見を綴っている。

 「尖閣諸島は荒れ果てた無人島。GDPの足しにもならなければ税収も得られない。
 どの国にとってもどの国民にとっても何の影響力もない。
 しかし、政治家たちや外交勢力は『これぞいい機会』と火のないところに煙を立て、国民の血税を使って事を荒立て、きりきり舞いしている。 
 これはすべて、彼ら自身の利権のためだ。
 彼らはこれで飯を食っているのだ。
 彼らが真に国民のことを思って政治をするのはいつの日やら。
 その時こそ平和が訪れるというものなのに」。




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 尖閣諸島は日本のものだ」 の全文
 この短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」に載った記事の日本語訳が掲載されました。
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サーチナニュース  2012/08/28(火) 13:06
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0828&f=politics_0828_018.shtml

波紋呼んだ中国人の「尖閣はやっぱり日本のもの」主

  中国の女性企業家、広東捷盈電子科技・取締役副主席の林凡氏が24日、
 尖閣諸島は日本のものだ
とツイートした。
 米国とオランダ、マレーシアとシンガポールの領土争いで国際法廷が示した判決や、中国共産党機関紙である人民日報のかつての「見解」」などを根拠として、現在の中国政府の言い分を否定する見解を示した。

  同ツイートに対しては「激烈な反対意見」とともに、尖閣諸島の領有についての中国共産党・中国政府の主張に改めて不信の念を表明する書き込みも相次いだ。

  林凡氏のツイートとフォローは25日夕方までに、すべて削除された。
 同ツイートの原文となったと思われるブログは
 転載が相次いだこともあり、一部ページでは閲覧することができる。
 同文章には、尖閣諸島の領有権について、他の事例との比較や日中のこれまでの対応の分析を積み重ねて論じている特徴がある。
 同問題に絡めて過激な行動をする中国人に対する嫌悪感の発露と見られる部分もある。

  以下、ブログ文の全文を日本語訳して掲載する。
 小見出しと訳注は編者による。

 尖閣諸島の領有権について、中国側がしばしば持ち出す「地図」の問題などから論じた。


**********

 インターネットでは釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)について、多くの意見が寄せられています。
 「叩く」、「殺す」などと叫ぶ罵声です。
 それでは、魚釣島の未来はどうなるのでしょう。
 詳細に分析すると、魚釣島は必然的に日本に属するということが予見できます。

領土紛争の解決には3つの方法がある

  私たちは、国際的な領土紛争を解決するには、通常、3種の方式があると知っています。
 (1)交渉で解決、
 (2)国際法廷に訴える、
 (3)武力を用いる
――です。

★まず、1番目の方法を見てみましょう。
 交渉による解決です。

  交渉には、双方が相手との間に領土紛争があると確認し、双方が交渉を望むという前提があります。
 中国側はもちろん、日本と交渉したいと考えるでしょう。

  では、日本側はどうでしょう。
 日本の外相は9月19日<訳注:何年の発言であるかは不明>、
 「尖閣諸島は日本の固有の領土だ。いわゆる領土問題は存在しない」
と発言しました。
 相手が領土紛争があるとの基本を承認しないのでは、なにをもって交渉の土台とするのでしょう。
 さらに、日本側が交渉を望んだとしても、現在の国際政治では、交渉を通じて相手が実効的に占領している領土を取り戻すという考えは、「痴人の夢」とでも言うべきです。

★次に、2番目の方法を見てみましょう。
 国際法廷に訴えるという方式です。
 私は、この方法を重点的に論じます

「古くから中国に属していた」で領有権は決まらない

  中国政府・外交部の報道官は、釣魚島について語る時には
 「釣魚島は古くから中国に属していた」
と言います。
 日本側の主張は実際のところ一貫しており、
 「無主地であり、日本が先にこの地に対して有効な統治を行った」
です。
  これに対して中国側は
 「われわれの、かくかくしかじかの古文書には、14××年に、釣魚島についての記録がすでにある。 
 日本人よりも500年も早い」
云々です。

  しかし、すでに1925年の米国とオランダの間でパルマス島<訳注:フィリピン・ミンダナオ島とオランダ領東インド(当時)の間にある島>の事案で、国際法廷は
 「先に発見した者が、主権を有するとはかぎらない」
との見解を示しました。
 「有効な統治があって、(領有権は)成立する」
としたのです。
 たとえば、国旗1本を立てるだけでもよいのです。

米国・オランダ間で「実効支配」が決め手になった実例

  パルマス島を発見したのはスペイン人で、16世紀のことでした。
 その後、オランダが統治していました。
 その後、スペインはパリ条約でフィリピンとその周辺島嶼(とうしょ)を米国に割譲しました。
 米国は、その島嶼にパルマス島が含まれていると認識したのです。
 しかし、国際法廷はパルマス島の割譲を認めず、(それまで実効支配をしていた)オランダの領有が続くことになったのです。

  もうひとつ、参考の価値があるのがシンガポールとマレーシアが争ったペドラ・ブランカ島の件です。
 歴史的要因だけを考慮すれば、ペドラ・ブランカ島は明らかにマレーシア・ジョホール王国にとっての
 「古来からの神聖なる、分割することができない一部分」
でした。

  しかしシンガポール側は1844年に同島に灯台を築き、実効支配を始めました。
 マレーシア側は長期にわたり、異議を唱えませんでした。
 マレーシアが1979年に自国地図にペドラ・ブランカ島を入れたことで、両国の争いが発生したのです。

長期間放置・権利放棄で領有権は相手国のものになる

  国際法廷は最終的に、ペドラ・ブランカ島をシンガポール領と認めました。
 マレーシアが長期にわたり、(シンガポールの実効支配を)「黙認」していただけでなく、1953年にシンガポール当局がマレーシア当局に対して、
 「同島の領有権はマレーシアに属していると考えるか」
と質問した際に、ジョホール州の代理秘書が書簡で
 「ジョホール政府はペドラ・ブランカ島に対する領有権を主張したことはない」
と回答したことでした。

  したがって、国際法廷は
 「1844年まで同島がジョホール王国に属していたことは確かだ。
 ただしその後、マレーシア側の放棄により主権は移動した」
と判断したのです。

火星を地図に描いても、火星は自分のものにならない

  不幸なことに、清朝時期はおそらく
 「普天の下、王土に非ざる莫く、率土の浜、糞青にあらざる莫し」
 <訳注:原義は、「あまねく空の下はすべて王(=中国の支配者)の土地、そこにいる人はすべて王の臣」の意。「王臣」をわざと憤青(=怒る青年)と同音の「糞青」に置き換えたと思われる>
の伝統思想の影響を受け、自分の目で見えるのだから、われわれの土地だと考え、時おり漁民が立ち寄る以外には、基本的に釣魚島において主権を直接に示す行為をしなかったのしょう。

  明朝期の「籌海図編」や清朝の「大清一統輿図」を持ち出す人もいます。
 これらで少なくとも、われわれが地図の上で釣魚島を記載していたことは証明できます。

  しかし、地図などというしろものを持ち出しても、
 「アフリカが入っているから、アフリカはわれわれのものだ」とか、
 「火星を描いておいたから、火星はわれれものもだ」
と言うことはできません。

日本は尖閣編入時、「微妙な問題」と認識していた

  これまでの(世界で発生した領土争い)の事例を見ると、地図の証拠能力は地図自身の性質と質に関係してきます。
 地図の証拠としての説得力は、しばしば極めて有限です。
 たとえば、パルマス島の事例では、国際法廷は地図を証拠として採用するにあたって、地図が正確であることを基本条件として求めました。

  米国側は世界各地から1000枚以上もの地図を探し出しました。
 それらの中で、(領有権争いの相手国である)オランダの主張を支持する地図は3枚しかありませんでした。
 しかし国際法廷はパルマス島を(実効支配を続けていた)オランダの領有と判断しました。

  振り返ってみれば、日本政府は19世紀の末から大きなエネルギーを使って釣魚島(尖閣諸島の中国側通称)を調査し、清国政府が所管した痕跡がないことをつきとめました。ただし、日本側は中国が同島をすでに命名していたことには注目しました。

ところが、日本人が統治しても中国は抗議しなかった

  (尖閣諸島が)清朝の勢力範囲に近いため、清国の領土であるという証拠はなかったのですが
 「万一の不測の事態が発生すれば、事態収拾が難しい」
と懸念したわけです。

  1895年に始まった日清戦争の海戦で清国に勝利すると、日本人の姿勢は強硬になりました。
 釣魚島を沖縄県の所管として、標識を立てたのです。
 <訳注:正式な標識を立てたのは1970年で、下記の尖閣諸島への入植よりも相当に遅れた>

  翌1896年には同島を古賀辰四郎に貸し与えたので事業が始まりました。
 1909年には、同島に移住する者が250人近くになりました。

  しかし清国政府は(尖閣諸島に対する)主権の宣言を発表することはなく、実際の統治も行いませんでした。
 さらにスゴイことに、1970年代に石油資源が発見されるまで、中国は70年以上も日本や米国の釣魚島統治に対してて、何の異議も申し立てなかったのです。

「清朝は釣魚島を自国領と認識していた」証拠は偽造だった

  1970年代になり、釣魚島の紛争が改めて発生してから、米国在住の「盛家の子孫」と自称する盛毓真という人物がおどり出ました。
 盛毓真は慈禧(西太后)から盛宣懐<訳注:清朝末期の政治家・実業家。1844-1916年>が賜ったとする書状を発表し、清朝政府が釣魚島について“電柱に小便をかけていなかったわけでもない”ことを証明したのです。

  (釣魚島の奪還を目指す)保釣派は欣喜雀躍しました。
 盛毓真は愛国の星とされ、台湾に行って人を騙して大いに飲み食いをしたのです。

  ただし、ウマイことは長続きしません。
 中国大陸及び台湾の学者が前後して、盛宣懐が発表した慈禧の書状には形式上の混乱があり、ありえない間違いがあることを発見したのです。
 例えば、盛宣懐の任官の年月日が事実よりも3年早かったり、慈禧の印が書状の日付当時には使われていなかった、それより古い時期のものと判明したのです。
 結局、慈禧の書状は偽物と断定されました。

下関条約と尖閣は関係なし、日清双方が確認済み

  この偽書以外にも、中国は釣魚島を「台湾と付属する島嶼(とうしょ)」とみなして、馬関条約<訳注:日清戦争の講和条約。日本では下関条約と呼ぶ>にもとづき日本に割譲されたもので、清朝の領土であったのだから「カイロ宣言」及び「ポツダム宣言」の関連規定にもとづき、中国に返還されるべきと主張しています。

  問題は、日本は馬関条約の3カ月前に釣魚島を沖縄の所管に組み込んでいたことです。
 馬関条約締結時、清朝政府は日本が“魔手”を伸ばし、福建省沿岸の島嶼も「台湾に付属する島嶼」として手を伸ばすことを恐れました。
 そこで双方は、地図の形で(日清戦争の講和条件として)日本に割譲する島嶼を確認したのです。
 日本側が示した地図に釣魚島は入っていませんでした。

  そして、双方は「台湾接収文書」に署名しました。
 すべてが「双方いずれにとっても明確」なのです。<訳注:筆者は、尖閣諸島は下関条約の結果として日本に引き渡された中国領ではないと指摘>

論じていて気分が悪いが、事実は事実

  ここまで論じてきて、実に気分が悪いのです。
 しかし、話はまだ続きます。
 日本側には、もうひとつの主張があります。
 つまり、魚釣島は琉球諸島の一部分であり、理屈から行っても日本に属するということです。

  中国側は何としても、この日本側の主張は絶対に違うと証明せねばなりません。
 中日双方の古文書の記載からして、古琉球時代に釣魚島が琉球に属していなかったことは確実です。
 しかし日本が1895年に釣魚島を琉球に編入してから、日本と米国だけでなく、さらに致命的なことに、中国もが釣魚島は琉球に属すると言いはじめたのです。

人民日報も「尖閣は琉球に属する」と明記

  1920年に、中華民国の駐長崎領事は日本政府にあてた感謝状で
 「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」
と書いているのです。

 さらに“殺傷力”が大きいのは、
 1953年に「人民日報」が発表した文章です。(注:冒頭の画像)
 最初の部分には「尖閣諸島を含む琉球群島」と書いてあり、最後の部分では
 「琉球は日本人民が独立、民主、平和を勝ち取る闘争と、切り分けることができない」
と描いているのです。

  実際には、現在も直一部の「保釣派」の理論は
 「釣魚島は琉球に属する。
 琉球は中国に属する。
 したがって釣魚島は中国に属する」
です。
 これに対しては彼らに、痴れ者の妄想はおやめなさいというのみです。

日本にMAOのような人物が出れば、戻ってくるかも

 琉球が現在、日本に属するといおうことは変えようがない事実です。
 日本人に琉球を吐き出させようとすれば、彼らの国家に、たとえばMAOのような領土を糞まみれの土地のように扱う神のような偉人が出現することを期待するしかありません。
<訳注:MAOは毛沢東を指すと考えてよい>

  これまでの記述を総合し、台湾の保釣運動の熱血青年に馬英九総統が比較的遠まわしな言い方で
 「釣魚台(尖閣諸島の台湾側通称)を争う場合、国際法は台湾にとって不利」
と言っていることもあわせてみれば、私は国際法廷に訴えた場合、(釣魚島を取り戻せるという)中国側の勝算はほとんどゼロと考えます。
 これが残酷な現実です。

武力による奪取は、どう考えても不可能

★最後に、武力による解決を考えてみましょう。

  現在、インターネット上には中日海空軍力比較が大量に存在します(陸軍は尖閣問題で使えないからです)。
 日本側がやや有利という説もあれば、中国側が勝つとの主張もあります。
 この種の比較は実際には、まったく無意味です。
 「日米安保条約」が存在するからです。

  法律上の義務、同盟国としての道義、あるいは自国のための戦略的利益からみても、米国は必ず日本を支持します。
 ヒラリー・クリントン米国務省長官も
 「私は明確に申し上げたい。
 尖閣諸島は安保条約第5条の範囲内であり、われわれは日本国民の義務を保護することを重視します」
と表明しました。

  これまでの釣魚島を巡る紛争のとき、軍の側の原因があったわけではありません。
 しかし、頭がおかしいのでなければ、中国と米国の軍事力の差は、1段階や2段階の問題ではないと、だれでも分かるはずです。

  あるいは
 「戦争の勝敗を決定する鍵は、双方の武器装備の優劣ではない。
 精神と意志の力の違いだ」
と言う人がいるかもしれません。

尖閣海域に派遣される中国の監視船は哀れだ

  確かに、「冷たい兵器」の時代でも「熱い兵器の近距離作戦の時代」でも
<訳注・「冷たい兵器」とは、火薬類を使わない古代の兵器を指す。「熱い兵器の近距離作戦」とは、通信網やミサイルなどを使わない火砲による攻防を指す>、
 精神力や意志の力は戦争の勝敗を決める重要な要素です。

  ただし、現在の情報化・非接触式作戦の時代に、精神の力を強調するということは、それは精神力を淫するということです。
 もちろん、“愛国賊”らの圧力に対応するために、共産党も国も「強硬」な表現をします。

  そして党・政府は監視船数隻を派遣します。
 われわれの監視船が日本の軍艦と対峙することに対して、心がぞっとして同情の気持ちが出てきます。
 釣魚島まではまだ数十海里もあり、そしてまた、傷ついた心で戻らねばならないのです。
 こんなつら汚しの小細工で、釣魚島を奪還できるとでも言うのでしょうか。

尖閣はすでに日本のもの、将来も日本のもの

結論:
  釣魚島は日本人が出兵して占領したものではありません。
 われわれがぼろ布のように捨てたものです。
 日本人は宝物のようにそれを拾いました。
 われわれは異議を唱えませんでした。
 1968年に釣魚島海域で石油が発見されたから、釣魚島は一晩にして突然、「神聖にして不可分」な領土になったとでも言うのでしょうか。

  そして、泰山のように崇拝されている周恩来も、日本人に対してあいまいに
 「われわれはここで、あの(釣魚島)のために、論争をすべきでありません。
 いずれにせよ、地図の上で探しにくいほどの小さな点にすぎません。
 なんで問題になるかと言えば、石油が見つかったからにすぎません
と発言しています。
 これが、一国の指導者の領土問題に対する姿勢でしょうか。

  したがって、法律面、国際政治、実力を比較検討しても、釣魚島はすでに、そして将来にわたって日本のものでありつづけるのです。

 あなたは怒るかもしれない、あせるかもしれない、悲しむかもしれない。
 しかしこれが事実であり、真相なのです。





【日本にその覚悟があるのか】



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